柳生街道 滝坂の道と石仏たち

奈良市街地から出発して、柳生街道の前半にあたるのが滝坂の道です。

春日山と高円山の間の谷川沿いに柳生へと結ぶ近道です。

不揃いの石を敷き詰めた石畳が続きます。これは江戸時代初期、柳生家(柳生宗矩)が将軍の剣法指南役となって大名になった頃に、奈良からの街道の往来をよくするために当時の奈良奉行が改修工事を行った名残であるといいます。多くの武芸者も通ったことでしょう。峠の茶屋には、槍や刀が残されています。

滝坂の道のあたり、春日の山々は古く奈良時代前には山岳宗教の信仰の場で、多くの山岳修行者が籠り拝んだ石仏がたくさん残されています。今も昔も柳生街道を行き交う人々を見守ってくださっています。

凛とした澄んだ空気を感じ、川のせせらぎや木々のざわめきを聞きながらのハイキングなど、いつ訪れても気持ちの落ち着く場所。

滝坂の道を進んでいくと、江戸時代より続く「峠の茶屋」で一休みし、平安時代に造られた美しい浄土庭園のある円城寺へと続きます。円城寺からは剣聖柳生の里へと続く剣豪の道となります。



滝坂の道は春日山原生林(特別天然記念物)の中にあります。

御蓋山(283)、東の花山(497)、芳山(518)を含め、春日大社背後の山を総称して春日山といいます。

平城京の昔から、都の人たちの散策の地として親しまれてきた山で、古歌にも数多く詠われています。

仁明天皇の承和8年(842)以来、春日大社の神域として狩猟が禁じられてきたので(禁猟区)原生林となり、国の天然記念物に指定されています。

春日山石窟仏 (史蹟)

この石仏は、東大寺大仏殿を建てるために石材を掘り取った跡に彫られたものです。石仏は全部で十八体ありますが、左右の二つの洞窟にわかれています。一つは地蔵尊を中心としたもので、いま一つは大日如来と阿弥陀如来を中心としたものです。

正面左の洞窟は、久寿2年(1155)の銘があり平安時代の作であることが明らかです。しかしこれらの石仏を、誰が彫ったのかは明らかではありません。

大乗院の一僧(山伏)が岩窟に起居して彫刻したものでしょう。また大仏殿を建てるとき、石材を掘り取った跡に彫刻したものと言われています。





滝坂の道は谷川沿いに造られています。

奈良市街地方面より登っていきましょう。



寝仏

街道の「寝仏」の案内表示のそばの石の裏側に大日如来が彫られています。

いつ、どこで、誰が彫ったのかはわかりませんが、その神妙さが見た人の心を惹きつけます。


夕日観音

観音と名づけられていますが、弥勒摩崖仏です。弥勒信仰が盛んだった鎌倉時代に彫られたものとみられ、頭の右上の石が少し前に出ているのが特徴です。

その名の通り、夕日に映し出された幻想的な姿は見る人の心を癒します。


朝日観音

谷川の対岸の岸壁に彫られているのは朝日観音です。

これは早朝に高取山の頂からさし昇る朝日に真っ先に照らされることから名づけられたもので、実際には観音ではなく、中央は弥勒仏、左右は地蔵尊です。この石仏は、文永2年(1265)の銘があり、鎌倉時代の石仏の代表的なものです。

夕日観音と同じ作者と思われます。



首切り地蔵

首の部分がまるで刀で切られたようになっているお地蔵さまです。

剣豪荒木又右衛門が試し切りしたと言い伝えられています。そっと佇むその姿は神秘的でもあります。人を救う役割として多くの人に親しまれていたことから、かつてこの道を行き交う人々からお守りのような道しるべとなってきました。



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